世界のぜんぶが書いてある本、ない?

普段自分が考えてること、疑問に思ってることを検索してみても意外と答えが見つけられないので仮説を立てて自分から発信してみることにしました。ブログタイトルは、僕のだいすきな漫画『せんせいのお人形』のセリフです。(勝手に使ってます、ごめんなさい。)

我慢するより真似してみる

はじめに

特に理由はないのに、他人の言葉遣いやしぐさが気になってイライラしてしまうことってないでしょうか? 僕は結構あります。 僕だけじゃないといいんですけど...。

でも自分がイライラするからといって指摘するわけにもいかないですよね。 相手は何も悪いことしてないんですから、言いがかりもいいところです。 だから僕は何も言わずに我慢していました。

しかし、我慢するだけではストレスが溜まっていきます。 直接言わないとはいえ不快感が態度出てしまっていると思うので、相手も不快に感じてしまいます。

そこで、この状態を脱却すべく僕が最近実践してみていることがあるので紹介したいと思います。



まずは真似してみる

僕は他人の言動に対して不快感を感じたときは、まず真似してみるようにしています。 特に言葉遣いに関しては使いどころを見て口に出すだけでいいので、よく真似してみています。

真似していくうちに相手の言動に違和感を感じなくなっていき、次第に受け入れられるようになっていきます。 そして、気づいたときには自分でも自然に使うようになっていました。

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もちろん、あきらかに悪いことを真似するってことではないですよ。 相手は悪いことしてないのに、なぜか不快に感じてしまうときに真似してみるんです。 真似している間は、自分が真似しているという自覚があるので不快になることはありません。

また、真似してみると案外使い勝手がいいことに気付いたり、相手の心情が理解できたりと、自分の考えを改めるきっかけになることもあります。



真似をすること=共通点を増やすこと

この方法に気付いてから調べてみたんですが、そもそも人にはその場にいる人の動きやしぐさを無意識に真似してしまう「カメレオン効果」というものがあるそうです。

sales-closing.net

10回クイズと同じで、先行刺激が自分の思考や行動に影響を与えてしまうのです。

僕は「真似する側」だけにメリットを見出していましたが、以下の記事によると「真似された側」にもいい影響があるという研究結果があるそうです。

誰かの真似をする(カメレオン効果) | 展示室 社会 | 心理学ミュージアム - 日本心理学会

真似する側は、ただ相手の真似をしているだけですが、真似をされた側からすると自分と似ている=共通点が多いと感じることになります。 すると真似された相手に対して親近感が湧き、好感が高まるのだそうです。

カメレオン効果は他者との距離を縮めて、うまく付き合っていくための本能なのかもしれないですね。

共通点が多いと親近感が湧くというのは、以前「嫉妬」について考えた以下の記事で紹介した、オキシトシンという脳内物質が関わっているのかなと思います。

zeppekikun.hatenablog.com

真似をするだけで、双方にメリットがあるということで、なかなかいい方法なんじゃないでしょうか。



最後に

今回は真似することで、他人の言動から感じる不快感を軽減できるのではないか、というお話でした。

僕がなぜ自分が不快に思うことを真似してみようと思ったかというと、自分が真似して見せることで相手に僕が感じた不快感を感じさせて、その言動をやめさせることができるんじゃないかと思ったからでした。

ずいぶん性格の悪いことをやってますね...。 結果として、やめさせるどころか自分が取り込まれてしまいましたけどね笑。

そもそもなぜ理由もなくイライラしてしまうのか考えてみたんですけど、これだという答えは見つからずにいます。 自分ルールみたいなものがあって、それに反する言動に対して攻撃的になっているのでしょうか。

このイライラの原因がわかって根本解決できることが一番なんですが、 とりあえずの対処法として真似してみるというのもありなんじゃないでしょうか。

今回のお話は以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

「恥ずかしい」と感じるのは多数派に背いたから

今回の仮説

最近気づいたことがあります。 ここ1年ぐらい外出するときはいつもマスクを着用しているのですが、マスクを着けずに外に出ることを恥ずかしいと感じるようになった自分に気が付きました。

これって新型コロナウイルスが流行る前だったら考えられなかったことだと思います。 この数年で人前ではマスクを着用することが、世の中の共通認識になったのだと思います。

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このことから一つの仮説が浮かんだので、記事にしてみました。


今回の仮説は、「恥ずかしい」という感情は

多数派に背いたことを知らせるアラートの役割  
を持つのではないか、というものです。



羞恥心は他者がいないと成立しない

今回の仮説を思いついた後で羞恥心について調べてみたんですが、羞恥心と脳活動に関する論文を見つけたので紹介します。

社会神経学と精神医学

羞恥心を感じているとき、脳内ではpSTSとMPFCという脳部位が活発になるそうです。 pSTSは他人の意図を読み取る行為に関わるとされ、MPFCはpSTSで読み取った情報をもとに自己を省みる能力に関与するとされています。

このことから「恥ずかしい」という感情には、他者の存在が大きく関与していることがわかります。 「穴があったら入りたい」という言葉があるように、他人が存在しないと成立しない感情であるということです。



羞恥心が少数派であることを警告する

以前の記事で、いじめの標的の選定基準について考えたことがありました。

zeppekikun.hatenablog.com

こちらの記事では「集団のスタンダードから外れた個体が標的になる」という仮説を立てました。

この「集団のスタンダードから外れた個体」に該当する人は、「恥ずかしい」という感情を抱く機会が多いのではないかと僕は考えています。

2018年に実施された小・中・高校生対象の学習調査では、学校の成績および家庭の生活水準が平均から外れている生徒がいじめを受けている傾向が高いことが判明しました。

できる子、裕福な子が標的になる、日本のいじめの特異な傾向

例えば、成績が悪いことや貧乏であることを周囲にからかわれると恥ずかしいと感じることがあると思います。 一方で成績が良かったり、裕福だったとしても、そのことを周囲に認知されると気恥ずかしくなったり、謙遜したくなることもあると思います。

つまり、自分が集団の中で少数派であると認知したときに、人は「恥ずかしい」と感じているということになるのではないでしょうか。 そして「恥ずかしい」と感じると、その事実を隠したい、逃げてしまいたいと、自身が排除対象にならないように行動しているのかもしれません。

このことから、羞恥心には自身が集団の中で弱い立場に立っていることを感知し、警告してくれる役割があるのではないかと考えました。



マジョリティでいることと盲目でいることは紙一重

今回は羞恥心について考えてみました。

仮説の根拠としては弱いですが、実際コロナ禍においてマスクをつけてない人や外を出歩く人を攻撃する動きはあったので、あながち間違ってなさそうだと思ってます。

仮に本仮説が正しいとするなら、恥ずかしいと感じるかどうかは自身が少数派かどうかによって決まることになるので、そこに論理的な理由はないということになります。

「恥ずかしいからやめなさい」とか「恥ずかしがらずにやりなさい」ていう言葉を聞くことがありますが、自分が恥ずかしいと思うことを他人に適用するのはおかしいし、その人が恥ずかしいと思うことを否定するのもおかしいということが、この仮説から考えられると思います。

この仮説が正しかったとしてだからなんだって思われるかもしれませんが、「みんなそうだから正しい」という固定観念に囚われない視点を持つことは、大事なことだと個人的に思っています。

最近、選択的夫婦別姓の訴訟が話題になっていますが、僕は夫婦別姓に反対する意味がわからないです。 単に選択肢が増えるだけで、同一姓だってこれまでどおり選べるのに何を反対する必要があるんでしょうか。

下記の選択的夫婦別姓の法制化に反対する請願を読んだのですが、あまりに論理性がなくてドン引きしました。

www.sangiin.go.jp

反対派の人たちの中には「自分たちは夫婦同一姓でずっとやってきたんだから、それが正しい」という固定観念が存在しているんだと思います。 もはやマジョリティでいることと盲目でいることは紙一重なのかもしれません。

ちょっと話それました..。 僕が言いたかったのは羞恥心を抱いた瞬間がマジョリティが抱く固定観念に気付ける瞬間なのではないかということです。

「恥ずかしい」と感じたということは、何が多数派なのかを認識しているということであり、自身はそれを客観的に見ることができる少数派にいるということになります。 羞恥心自体は本能によるものですが、固定観念に囚われない視点を持つ上で有用性のある感情なのではないでしょうか。

もちろん僕だって恥をかくのは嫌ですが、もし羞恥心を感じてしまったら、せっかくなので自分の中にある固定観念を見直す機会にしていきたいなと思います。

今回はお話は以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

達成できなくてもいい目標を立てよう

はじめに

※導入として転職前の職場の話をしますが、正直本題ではないのでめんどい人はスキップしてください。

前職の会社では「目標設定」なるものがありました。 毎期の初めに個々人で目標を設定し、期末時点での達成具合で評価されるというものなのですが、これが僕にとって苦痛でしかありませんでした。

この目標設定で立てる内容というのは業務外に行う自己研鑽という立ち位置になっており、目標達成のために残業することは許されませんでした。 結果的に業務外の時間を目標達成に充てなければなりませんでした。

以前の記事でもお話ししましたが、当時の僕は仕事がうまくいかず日々の業務すらこなせていない状況でした。 その上で自己研鑽を強要されていたので精神的にまいっていました。

さらに目標の内容決定には上長の承認が必要であり、自分の中では絶対無理だろうと思う目標を無理やり立てさせられ、結局達成できずに評価を下げられるという負のループでした。

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転職先にも「目標設定」自体は存在するんですが、業務をこなすだけで達成できることも設定可能で、目標の難易度も個人の裁量に任せられているので、かなり楽になりました。 もちろん高い目標を達成したほうが評価は高くなるんでしょうけど。

この経験から「目標の立て方」について考えるようになりました。 仕事の目標に限らず、普段の生活にも同じ考え方を取り入れることで以前より自分の精神が安定するようになったので、僕の考える目標の立て方をご紹介します。



僕の考える目標の立て方

今回紹介する目標の立て方は、いかに目標未達成のリスクを下げ、モチベーション低下を避けるかに焦点を置いたものとなります。 この立て方が正解だとか絶対やるべきという話じゃなくて、こういう目標の立て方があってもいいんじゃないかっていう程度の話ですので、気楽に読んでいただけるとありがたいです。

僕が目標を立てるときは、以下の2つの目標の二本立てにするようにしています。

① 普段通りに過ごして達成できるぐらい簡単な目標
② ①の延長であわよくば達成したい目標

普段通りに生活しても達成できないからこそ目標を立てるのだと思うので、いわゆる目標は②にあたります。 ②の目標を立てるだけだと単に目標を立てるのと変わりません。 ②の目標は何もしないままだと達成できないので、意志を持って自身の生活に目標達成のための行動を取り入れる必要があります。

しかし、「目標を立てたからやらなきゃ」という義務感だけでやり通すのは精神的に負担がかかるし、義務感でやるということは「やるのが当然」というニュアンスを含んでしまいます。 これでは「やったとしてもマイナスをゼロにできただけ」であり、なんとも達成感がないしモチベーションも維持できないと僕は思います。

そこで①普段通りに過ごして達成できるぐらい簡単な目標が登場します。 これは意志を強く持たなくても達成できるので、元の生活を圧迫しないで済むし、目標を達成できたことには変わりないので達成感を得ることができます。 つまり普段通りに過ごしてるだけなのに「ゼロをプラスにできた」という感覚を得ることができるのです。 これがモチベーションの維持につながると考えています。

①の目標達成により、簡単に達成感を得ることができるので「もう少しやってみよう」という気持ちが芽生えやすくなると思います。 これにより②あわよくば達成したい目標の達成も意欲的に取り組むことができます。 しかし、②の目標はあくまで「あわよくば」なので①さえ達成できていればOKなのです。

「目標なんて『あわよくば』ぐらいの気軽なものでいいんじゃない?」っていうのが僕の目標の立て方のモットーです。



元々習慣的にやっていることを目標にしてしまう

ここまでの説明で僕の目標の立て方の狙いについてはなんとなくわかっていただけたでしょうか。 じゃあ①の目標ってどうやって立てればいいんだよって気持ちになるかと思うので、実際に僕が今実施してる目標を具体例として紹介します。

僕の勤務先が在宅勤務になって一日中家にいる日が多くなり、半年で体重が5kg増えてしまいました。 本来くつろぐ場所である自宅で仕事をするので、集中できずイライラでついお菓子を食べてしまうのも原因の一つかと思います。 食べるのを制限してしまうと余計ストレスが溜まりそうだし、生活の中に新たに運動する時間を確保するのも面倒臭い。

そこで①の目標として「毎日の昼休憩に買い物に出かける」という目標を立てました。 買い物はごはんやお菓子を買うために普段からやっていることです。 以前は数日に1回のペースでしたが、買いだめをできるだけしないことで毎日買い物に行くための口実を作りました。

さらに目標達成できたことが目に見えるように、スマホのヘルスケアアプリで歩数を記録・確認できるようにしました。 僕が使ってるアプリは毎日目標歩数が自動で設定されるので、その歩数到達を目標達成の証拠としています。 徒歩15分のスーパーまでの往復で達成できる程度の歩数なので僕にとっては元々やっていたことをやるだけです。

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毎日簡単に目標達成できて、達成の証拠が目に見えるのでモチベーションも維持しやすく、気分のいい日は仕事上がりにも散歩するようになりました。 まだ、体重はほとんど変わってないですが②の目標「あわよくば体重をもとに戻す」はあくまで+αな目標であり、①の目標は達成できてるので問題なしです。

また、散歩してて気づいたのですが、歩きながら考え事するのがすごく楽しいです。 僕は暇さえあればスマホをいじってしまうのですが、歩きながらだとなかなかスマホをいじれないので、インプットが遮断されて思考が捗ります。 この記事の内容も散歩しながら考えました。
(考え事に集中しすぎて、周りに気が回らなくなるかもなので若干危ないですけど..。)



最後に

今回は僕の目標の立て方を紹介させていただきました。 繰り返しますが、あくまで目標の捉え方の一つであって強制するものではないことをご留意ください。 もちろん難しい目標を立てて、それをやり遂げるというのも大いにありだと思います。

ただ、目標達成して自分を成長させようとする理由って、今より生きやすくするためだと僕は思ってます。 無理難題の目標で自分を苦しめて、自ら生きにくい環境を作ってしまっては本末転倒な気がします。 高い目標だって「自分は達成できる、達成したい」というモチベーションがあってこそなんだと思います。

生きていれば困難なんて勝手にやってくるんだから、楽できることは楽していいんです。 楽して成長できるならそのほうがいいんだって、感じてもらえたら嬉しいです。

ここ最近出した記事はある程度調べてから書き起こす題材が多かったですが、今回は久しぶりにたくさんインプットせずとも書ける内容でした。 たまにはこういう文章を書くのも息抜きになっていいですね。

今回のお話は以上です。 お付き合いいだたいた方、ありがとうございました。

褒められると嫉妬できなくなる

はじめに

前回の記事では『嫉妬』は集団維持のために邪魔者を排除したいという感情であるという仮説を述べました。

zeppekikun.hatenablog.com

今回は嫉妬の原理を踏まえて、嫉妬に対してどのように対処していけばよいか考えていきたいと思います。



今回の仮説

今回の仮説を提示します。
自身の嫉妬心や他者からの嫉妬心を和らげる一番素直な方法は

相手を肯定して自分との間にオキシトシンを発生させること  
ではないか、というものです。

本記事では脳内物質「オキシトシン」の詳しい説明は省きますので、知らないよーって方は前回の記事をご参照ください。



脳科学者が提示する方法

前回も参照した以下の記事では自身の嫉妬・他人からの嫉妬のそれぞれの解消法が紹介されています。 こちらの記事には嫉妬の話に限らず興味深い話がたくさん書いてあるので、ぜひご一読ください。

logmi.jp

こちらの記事では、自身が抱く嫉妬の解消方法として努力して相手との差を埋めること、他者から向けられる嫉妬の解消方法として嫉妬が羨望に変わるほどに相手と差をつけることが紹介されています。

僕はどちらの方法も正しいと思いますし、それができる自分になりたいとも思います。 しかし、「それが簡単にはできないから困るんだよなあ」ていうのが正直な感想です。

これらの方法は自ら少数派になろうとする方法であり、集団を形成したい=多数派でいたい という人間の本能に逆らうことになります。
以前の記事でも述べましたが、理性的に正しいとはいえ、本能に真っ向から逆らう論理は根性論だと思うので、できれば避けたい方法です。



自分を肯定してくれる相手には嫉妬できない

前回の記事で述べましたが、嫉妬という感情にはオキシトシンという脳内物質が深くかかわっています。
オキシトシンは他者との関係を深めることで分泌され、相手との信頼感が増す一方でその関係を脅かす存在には嫉妬心を抱くようになります。

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逆に言うとオキシトシンが発生している間柄の相手には嫉妬心を抱かないということになります。 つまり、敵だと認識している人にしか嫉妬は向けられず、仲間として認識されれば嫉妬されることはないのです。 これこそが絶対的に嫉妬を回避する方法なのではないでしょうか。

そして、他者との間にオキシトシンを発生させる手っ取り早い方法こそが相手を肯定する=ほめることなのではないか、というのが今回の仮説となります。

「自分が努力して相手に追いつく」「嫉妬されないぐらい差をつける」よりはこちらの方法がハードルが低いかと思います。 集団を形成したい、多数派でいたいという本能にも逆らわずに済みます。

この「嫉妬」と「ほめること」を結びつける考え自体は、写真家の幡野広志さんのツイートから着想を得ました。



相手を認めることの相乗効果

今回は「相手を肯定することで、自身と相手の両方向の嫉妬を解消できる」という仮説を立てました。

人間には集団を形成し、集団の結束を高めようとする本能があります。 集団内にはみんなが守るべきルールがあり、論理的正しさよりも全員が足並みをそろえることが好まれます。

僕が思うに、集団を形成するとは集団内のメンバー間に共通点を作ることなのだと思います。 そして共通点が多いほどに結束力が高まります。

ということはオキシトシンによって相手との間に仲間意識が芽生えれば、より結束を高めるために自然と共通点を増やそうとするのではないでしょうか。
これが結果的に「仲間と共通点を増やしたい」=「努力して相手との差を埋めたい」という感情に繋がるかもしれません。

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僕も現在、嫉妬し合ってる相手がいるので、この仮説をもとに「相手との間にオキシトシンを発生させ、お互いの嫉妬心を軽減させる」という目論見を実践中です...。 上手くいけば仮説の裏付けになるし、失敗しても新たな仮説を立てるための材料にできるので、気楽にやっていこうと思います。

今回の仮説もそうですが、結論や指針はなるべくシンプルかつ包括的になるように心がけてます。 何かを選ぶ必要があるときは、何を選ぶかよりも、どれを選んでも大丈夫なように準備することが後悔しすぎないコツなのかなと最近思います。 このこともいつか記事にできるといいな..。

今回のお話は以上です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

『嫉妬』は集団維持のための防衛本能

はじめに

前回の投稿から1か月以上空いてしまいました。 このブログは僕にとって「ここまで考えた」という備忘録なので、定期的に投稿することよりも、納得のいくものを書くことを心がけてます。

そのため、今後もマイペースな更新になると思います。 (今までの更新頻度はネタ帳に書き溜めていたものを記事にしてたからこその頻度です。)

以前、ある方がツイッターか何かで「嫉妬は人間の感情の中でいちばん必要ないと思う」とおっしゃていました。 それが印象的で『嫉妬』という感情の存在理由について考えてみました。



今回のテーマ

今回のテーマは『嫉妬』という感情の役割についてです。 今回の内容は僕が考えた内容というより、調べて分かったことを僕なりの解釈でまとめたお話です。

調べた内容をもとに僕が出した結論は、『嫉妬』とは

集団結束を阻害する個体を排除しようとする防衛本能  
であるというものです。



『嫉妬』と『妬み』は違う?

まずは『嫉妬』の定義について確認しておこうと思います。 『嫉妬』に似た言葉で『妬み』がありますが、心理学において両者は異なるものとして扱われるそうです。 英語でも『嫉妬』はjealousy、『妬み』はenvyと訳されます。

logmi.jp

しかし、調べれば調べるほどに「どっちも一緒じゃね?」って思っちゃいました...。 どちらも自身の地位を脅かす存在に対して敵対心を抱く感情であり、わざわざ分けて考える必要があるほど差異があるようには思えませんでした。

説明も人によってまちまちですし、後述しますが脳内物質であるオキシトシンの発生が関与しているという点でも両者は一致しています。

無理やり差異を見出すなら、『嫉妬』は集団における自分の地位を奪おうとする侵略者に対する敵対心であり、『妬み』は集団内の裏切り者に対する敵対心でしょうか。
心理学における一般的な言葉の定義に関してはこちらをご参照ください。

indielife.jp

今回お話しするにあたっては『嫉妬』も『妬み』も同じものとして扱います。



集団の結束力と嫉妬心の強さは比例する

嫉妬に関わる脳内物質としてオキシトシンがあります。この物質は別名「幸せホルモン」「愛情ホルモン」などと呼ばれ、幸福感やストレス抑制、記憶力向上の効果があります。

なぜこの物質が嫉妬と関係があるのか。 それは発生条件に着目するとわかります。 オキシトシンはスキンシップや人と近い距離で食事や会話をすることで分泌されます。 つまり、他者とのつながりを強めることで安心や幸福感を得られる脳内物質オキシトシンなのです。

studyhacker.net

いい気分になる=本能的に正しいことをした と考えることができるので、人間の本能は集団を形成し、結束を強めることを是としていることがわかります。

このオキシトシンには他者との心理的結びつきを強める一方で、部外者を攻撃・排除したいという気持ちを高める効果があります。 集団の結束を維持するために、その結束を脅かす存在は排除する必要がある。 この感情こそが『嫉妬』なのです。

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『嫉妬』がいじめの免罪符になる

ここまでのお話で生存本能から見た『嫉妬』という感情の必要性について、なんとなくわかっていただけたでしょうか。

さらに嫉妬心を向けた相手の排除に成功すると、脳は報酬としてドーパミンという脳内物質を発生させ、人は快感を感じてしまうのです。 このことは以前『いじめっこ』をテーマにした記事でも触れました。

zeppekikun.hatenablog.com

他の生物に比べて明らかにひ弱な人類が生き残っていくためには、集団の結束が必要不可欠だったのだと思います。

この「集団結束を維持するため」が免罪符になるので、人は嫉妬による制裁行動に罪悪感を持ちにくいどころか、ある種の正義感さえ感じてしまいます。

「集団結束を維持するため」という後ろ盾があるとはいえ、嫉妬心を持つ個人の感情としては「自分の現在の地位を守りたい」なのではないかと思います。 集団のためにやってるようで、自分のためにやっていて、でも結果的に集団のためになることもある。
なんか不思議ですよね...。

とはいえ、できることなら嫉妬もしたくないし、嫉妬されたくもないですよね。 どっちの立場だろうと不快なことには変わりないですし。 この必要悪のような『嫉妬』をどう扱っていけばよいのか、この辺りも考えていきたいと思います。

今回のお話はここまでとさせていただきます。
お付き合いいただいた方、ありがとうございました。

自分を知ることが不安解消の第一歩

はじめに

前回の記事では『不安』という感情には環境変化を察知し、適応要請する役割があると仮説を立てました。

zeppekikun.hatenablog.com

今回は『不安』をテーマにした記事の後編として、不安を解消していくにはどうすればいいのか考えてみたいと思います。



今回の仮説

今回の仮説は『不安』を解消するには

原因となった対象を認識する必要がある  
というものです。



『不安』の解消方法は『行動すること』?

前編で紹介した下記の記事では不安を解消する方法についても言及されています。 それは「行動する」ことです。

diamond.jp

「不安になる」=「ノルアドレナリンの分泌」=「行動欲求の高まり」と考えると、行動することで行動欲求を満たすことができるので、的を射ているように見えます。

しかし、何かしら行動するだけではその場しのぎにはなっても、根本的解決にはならないと僕は思います。 行動を起こして一旦は行動欲求が抑えられたとしても、不安の原因が解消されていない場合、再び不安は時間とともに蓄積していきます。

結局、不安の原因となった問題を解決しない限り、不安を解消することはできないんじゃないかなと思います。

「なにかしら行動すること」は一時的に行動欲求を満たし、冷静な判断ができるようにするという意味では効果があるとは思います。

しかし、その不安を解消するための「なにかしらの行動」によって新たな環境変化を生み、二次的な不安要素を発生させてしまっては本末転倒なので、注意が必要です。



『不安』『心配』『恐怖』の違い

『不安』と似た感情で『心配』『恐怖』というものがあります。 いずれの感情も「何かに恐れを抱いている」という点で共通していると思いますが、何が違うのか調べてみました。

www.genic-net.com

gimon-sukkiri.jp

それぞれの感情の細かい定義については上記記事を参照していただければと思いますが、まとめると以下のようなイメージです。

f:id:zeppekikun:20201231182924p:plain ※あくまで僕の解釈による分類です。

『不安』とは、何かに対して恐れを抱いているが、恐れの対象が明確でない状態を指します。
恐れの対象が特定できている分、『不安』より『心配』や『恐怖』のほうが対処法を見出しやすいとされています。

恐れの対象がわからないと、そもそも行動の指針が立てられないですもんね。



知ることで『不安』を別の感情に遷移させる

上記の表から『不安』『心配』『恐怖』の感情には大きな差はなく、『不安』からほかの感情に遷移できることが見えてきます。

www.rcpsych.ac.uk

恐れの対象を認識することで『不安』を『心配』や『恐怖』に変えることができ、対処しやすくすることができます。 また、恐れの対象が判明して、そもそも対応する必要がないとわかることだってあります。

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以上を踏まえて、『不安』を根本的に解決するには、まず恐れの対象を認識することが必要であると考えました。

「恐れの対象を知ろうとする」という行動をとることで、行動欲求を満たせるし、不安解消の糸口をつかむこともできます。 一石二鳥ですね。

ここで注意してほしいのは「恐れの対象を知る」とは自分は具体的に何に恐れているのかを自問自答するということであって安心するための情報を探すことではないということです。

新しい情報を得ることで、新たな不安を誘発する可能性もありますからね。 「自分は何を恐れているのか」を認識してから情報収集した方が効率的ではないかという提案です。



最後に

今回は『不安』をテーマに記事を書いてみました。
前編/後編に渡って話を展開しましたが、結論だけ見るとすごく当たり前のことを書いてますね。

しかし、この当たり前のことが不安になるとなかなかできないんですよね。 ノルアドレナリンがせかしてきて、冷静な判断ができなくなりますから。

まずは冷静になるために、人と話したり、わかってることを紙に書き出してみたり、何か行動を起こしてみるというのは大いにアリだと思います。

説明に当たって新型コロナウイルスを例に挙げましたが、あちこちに情報が転がっている現代社会ですから、これからも『不安』とはいろんな場面で出くわすことになりそうです。

そんな腐れ縁の『不安』との対話方法として、まずは恐れの対象を特定するということを頭の片隅にでも置いてもらえたらなと思います。


今回も長くなってすみません...。 お話は以上です。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

『不安』は環境変化のセンサー

はじめに

新型コロナウイルスが騒がれ始めて、約1年経ちました。
世界中の人々がウイルスに恐怖し、今もなお不安を抱いている状態が続いています。

新型コロナウイルスが騒がれ始めた当初、マスクやティッシュペーパーの買い占めが起こったり、外出者を通報するコロナ警察なんてものが現れたり、混乱状態に陥りました。

コロナ禍は現在も続いているわけですが、この一件を通して僕は『不安』という感情がいかに人の判断力を惑わせるかということを痛感しました。

そこで今回は『不安』をテーマにした記事を2本立てで書いてみたいと思います。 書いてみたらすごく長くなったので、2つの記事に分けることにしただけなんですけどね...。

今回は前編として、『不安』という感情がどのような役割を果たしているのかについて考えてみたいと思います。



今回の仮説

今回の仮説は、『不安』という感情には

環境変化を察知し、適応するよう喚起する役割  
があるというものです。

『不安』が行動欲求を駆り立てる

まず、『不安』という感情を脳科学の観点で見てみます。
人は不安・緊張・恐怖を感じると脳内でノルアドレナリンという物質が分泌されるそうです。

diamond.jp

この物質は人の行動欲求を高める効果を持っています。 ノルアドレナリンは「闘争か、逃走か」の物質と言われ、ピンチの時に「さっさと行動しろ!」とせかすことで、判断スピードを格段に上昇させます。

ここでいう「判断スピードの上昇」は、「とにかく何かしら行動を起こしたい」という行動欲求を高めるものであり、冷静な判断をする力が高まるわけではありません。

新型コロナウイルスという未知の存在に対する不安に駆られ、多くの人が足早に行動を起こしたのも、このノルアドレナリンの分泌によるものなのかもしれません。

このことから、不安という感情は何かを察知して、行動するよう急かしてきているということがわかります。



『不安』は環境変化のセンサー

特定の時期に不安になる症状として「五月病」「マリッジブルー」「マタニティブルー」なんて言葉があります。

進学や就職・転居などの環境変化に伴い不安を抱くのが「五月病」。 結婚間近に不安になることを「マリッジブルー」、妊娠中や出産後に発生する不安を「マタニティブルー」と言います。

これらの共通点として、いずれも人生の節目に発生する症状であるという点があると思います。 「人生の節目」を言い換えると「大きな環境変化」と表現できます。

進学や結婚・妊娠というものは一般的に悪いイメージを持つイベントではないと思います。 しかし、なぜか多くの人が大きな環境変化に対して不安を抱いてしまうのです。 このことから『不安』は必ずしも悪いことを予知して発生しているわけではないことがわかります。

以上を踏まえて、『不安』とはただ単に環境変化を察知しているだけであり、変化する環境に対して、「適応が必要ですよ」と知らせてくれる感情なのではないでしょうか。



不安を増長させる情報化社会

不安になると発生するノルアドレナリンのことを前述しましたが、実際に「闘争か、逃走か」を迫られることなんてまずないですよね。 少なくとも僕は、日常的に生きるか死ぬかを迫られるような生活を送ってはいません。

文明化が進み、あらゆる面で安全性が担保されている現代と、人類が『不安』という感情を獲得したころの時代では状況が違うのかなと思います。

もちろん、世界中のすべての人々が日常的に「闘争か、逃走か」を迫られることがない世の中になったわけではないと思います。 しかし、実際に多くの人が不安にさらされている状況下にあるのは、文明化が進み、比較的身の安全が保障された先進国なのです。

多くの特に若い世代の人々が不安を感じている原因として、インターネットの普及が指摘されています。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2020/01/post-313_2.phpwww.newsweekjapan.jp

インターネットおよびソーシャルメディアの普及により、誰もが簡単にたくさんの情報を手に入れられるようになりました。 いわゆる情報化社会ですね。

これはもちろんいいことでもあるのですが、新しい情報を得ることはその情報から予見できる未来を得ることでもあります。

絶えず新しい情報にさらされ続けることで、脳はあらゆる環境変化を察知し、『不安』という形で我々に知らせ続けているのではないでしょうか。

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最後に

今回は『不安』をテーマにした記事の前編として、『不安』という感情がどういう役割を持っているかを考えてみました。 『不安』という感情は本能的な面で見ると、あるべくして存在してるということがなんとなく伝わっていただければ嬉しいです。

人間の遺伝子もまさかこんな情報社会になるなんて想定してなかったでしょうから、世の中が不安であふれてしまった現状も、ある程度は仕方ないのかなとも思います。

前述の通り、「闘争か、逃走か」の選択を日常的に迫られることのない現代ですから、不安になったらとにかくすぐ行動するよりも、冷静に状況を見て判断してから行動するほうが吉となる場面もあると思います。

とはいえ不安になるとノルアドレナリンが「はやく行動して!」と急かしてくるので、冷静に判断するのは簡単じゃありません。

この情報という名の不安の因子であふれている現代で、『不安』とどう向き合っていくか。 後編ではこの辺りのお話ができればなと思っています。

後編の記事に続きますが、一旦前編のお話は以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。