世界のぜんぶが書いてある本、ない?

普段自分が考えてること、疑問に思ってることを検索してみても意外と答えが見つけられないので仮説を立てて自分から発信してみることにしました。ブログタイトルは、僕のだいすきな漫画『せんせいのお人形』のセリフです。(勝手に使ってます、ごめんなさい。)

変えるべきは人ではなく仕組み

はじめに

この間、仕事で一歩間違えれば大事になりかねないミスをしてしまいました。 気づいてすぐに上司に報告して事なきを得たのですが、落ち着いてからふと思うことがありました。

「なぜすぐに報告することができたのだろう。」

実はこのミスはバレない可能性もありました。 報告すれば怒られるかもしれないし、評価が下がってしまうことも考えられます。 目先のリスクを考えれば報告しないで黙っておくということも選択肢になってしまうはずです。

それでも僕がすぐに報告することができたのは、僕にとって報告することのリスクが低かったからだと思います。 実際、気をつけようねと念を押されはしましたが、叱責されることもなく、むしろすぐに報告したことをほめられました。

もちろん、反省の気持ちもありますし、やっちゃったなあと落ち込みもしましたけどね..。

このように通常言いづらいことの発言しやすさを心理的安全性といいます。 僕がミスを隠すことなくすぐに上司に報告できたのは、「心理的安全性が高かったから」ということができます。

今回はミスで落ち込んだ気持ちの落としどころという意味も込めて、心理的安全性について僕の意見を含めて紹介したいと思います。



今回の仮説

今回の仮説は

心理的安全性の低さの原因は
人に期待していること
にあり、心理的安全性を高めるには
人ではなく仕組みに期待すること
が必要なのはではないか、というものです。



心理的安全性の定義

まずは「心理的安全性」という言葉の意味について、もう少し説明しておきます。

心理的安全性」とは、この言葉を提唱したエドモンドソン教授によると「このチーム内では、対人関係上のリスクをとったとしても安心できるという共通の思い」であると定義されています。

jinjibu.jp

僕なりにかみ砕いて説明すると、メンバー間で発言する際に、「こんなことを言ったら嫌われるかも」「無知だと思われて恥をかくかも」というような不安を覚えることなく安心して発言できる心理状態のことです。 要は「怖くて言いたいことが言えない」の原因を取り除きましょうねというのが目的のスローガンなのです。

この心理的安全性が低い状態だと、ミスをしても報告できなかったり、空気を読んで批判的な意見が言えなくなったりします。 結果として、ミスをしても言えないために対応が遅れがちで、チームのパフォーマンスが下がったり、無難な意見しか出せないために変化に適応する柔軟性が失われてしまいます

逆にいえば、心理的安全性が高い状態であればチームのパフォーマンス向上や改革・改善が起きやすい組織が実現できるということになります。 そのため、心理的安全性を確保することは大事だよねと昨今言われているわけです。



人に期待するから人を責めてしまう

心理的安全性の意味については何となくわかっていただけたでしょうか。 この心理的安全性を高めましょうと言われているのは、もちろん現状これが低いからなんですが、なぜ低いのでしょうか。

ここからは僕の考えですが、心理的安全性の低さの原因は人間に期待しているからだと僕は考えています。

例えば、怒られてしまうからミスを報告できない場合、報告できない原因である「怒られる可能性」が心理的安全性を下げている原因ですよね。 そして、ミスに対して怒ってしまう原因はその人がミスをしないことを期待しているからなのではないでしょうか。

他人のミスを怒る人と怒らない人の違いって、人がミスをすることをあってはならないと思うか、ミスして当然と思うかの違いなんだと思います。 ミスを怒らない人にとって、ミスすることは起こりうる可能性の一つに過ぎないのです。

人がミスをしないことを期待し、人が自分に異を唱えないことを期待し、人が自分の思い通り動くことを期待する。 期待されれば、人はその思いに無理にでも応えたくなる。 これこそが心理的安全性を下げている原因なのではないでしょうか。



変えるべきは人ではなく仕組み

心理的安全性を下げる原因を仮定したところで、では心理的安全性を上げるためにどうすればよいかについて考えてみたいと思います。

前回の記事でお話ししましたが、人はリスクを避けるために未来を予測しようと進化してきた可能性があるので、こういう未来になるだろうと期待してしまうことは、人間の本能であって仕方のないことだと思います。

zeppekikun.hatenablog.com

そこで「期待すること」自体をやめるのではなく、「期待する対象」を変えることが解決策なのではないかと僕は考えました。

そして、人に替わる期待の対象こそが「仕組み」だと考えています。

人為的ミスが発生して問題になったのであれば、ミスをカバーできる体制や仕組みが整っていなかったと捉えることができます。 仕組みを責めても誰も傷つかないし、改善すべき対象も明白です。

そもそも人類文明の発展そのものが、「いかに人に頼らないか」を指針に進んでいます。 手作業の機械化も、手書きの記録の電子化も、人に替わって法が人を裁くのも、すべては人から仕組みに期待の対象を変えた結果だといえます。

そう考えると、人に期待することがナンセンスなのは明らかですね。 人類の歴史が示している通り、我々人類は人より仕組みを変えていくことが効率的で確実であることが分かっているはずなのです。

人の仕事は機械に変えていくべきという話ではなく、問題の改善を人の意志の力ではなく機械や仕組みで解決すべきだよねということです。 僕も同じミスをしないように常に意識するのではなく、そもそもそのミスが発生しえない仕組みを作れないか考えています。

この考えが組織に浸透すれば、心理的安全性は自ずと上がっていくのではないでしょうか。 (どうやって浸透させるかは置いといて..)

もしここまで読んで納得していただけたなら、他者を受け入れるため、そして自分を守るための考え方として、頭の片隅に置いていただけると嬉しいです。


以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。