「恥ずかしい」と感じるのは多数派に背いたから
今回の仮説
最近気づいたことがあります。 ここ1年ぐらい外出するときはいつもマスクを着用しているのですが、マスクを着けずに外に出ることを恥ずかしいと感じるようになった自分に気が付きました。
これって新型コロナウイルスが流行る前だったら考えられなかったことだと思います。 この数年で人前ではマスクを着用することが、世の中の共通認識になったのだと思います。
このことから一つの仮説が浮かんだので、記事にしてみました。
今回の仮説は、「恥ずかしい」という感情は
羞恥心は他者がいないと成立しない
今回の仮説を思いついた後で羞恥心について調べてみたんですが、羞恥心と脳活動に関する論文を見つけたので紹介します。
羞恥心を感じているとき、脳内ではpSTSとMPFCという脳部位が活発になるそうです。 pSTSは他人の意図を読み取る行為に関わるとされ、MPFCはpSTSで読み取った情報をもとに自己を省みる能力に関与するとされています。
このことから「恥ずかしい」という感情には、他者の存在が大きく関与していることがわかります。 「穴があったら入りたい」という言葉があるように、他人が存在しないと成立しない感情であるということです。
羞恥心が少数派であることを警告する
以前の記事で、いじめの標的の選定基準について考えたことがありました。
こちらの記事では「集団のスタンダードから外れた個体が標的になる」という仮説を立てました。
この「集団のスタンダードから外れた個体」に該当する人は、「恥ずかしい」という感情を抱く機会が多いのではないかと僕は考えています。
2018年に実施された小・中・高校生対象の学習調査では、学校の成績および家庭の生活水準が平均から外れている生徒がいじめを受けている傾向が高いことが判明しました。
例えば、成績が悪いことや貧乏であることを周囲にからかわれると恥ずかしいと感じることがあると思います。 一方で成績が良かったり、裕福だったとしても、そのことを周囲に認知されると気恥ずかしくなったり、謙遜したくなることもあると思います。
つまり、自分が集団の中で少数派であると認知したときに、人は「恥ずかしい」と感じているということになるのではないでしょうか。 そして「恥ずかしい」と感じると、その事実を隠したい、逃げてしまいたいと、自身が排除対象にならないように行動しているのかもしれません。
このことから、羞恥心には自身が集団の中で弱い立場に立っていることを感知し、警告してくれる役割があるのではないかと考えました。
マジョリティでいることと盲目でいることは紙一重
今回は羞恥心について考えてみました。
仮説の根拠としては弱いですが、実際コロナ禍においてマスクをつけてない人や外を出歩く人を攻撃する動きはあったので、あながち間違ってなさそうだと思ってます。
仮に本仮説が正しいとするなら、恥ずかしいと感じるかどうかは自身が少数派かどうかによって決まることになるので、そこに論理的な理由はないということになります。
「恥ずかしいからやめなさい」とか「恥ずかしがらずにやりなさい」ていう言葉を聞くことがありますが、自分が恥ずかしいと思うことを他人に適用するのはおかしいし、その人が恥ずかしいと思うことを否定するのもおかしいということが、この仮説から考えられると思います。
この仮説が正しかったとしてだからなんだって思われるかもしれませんが、「みんなそうだから正しい」という固定観念に囚われない視点を持つことは、大事なことだと個人的に思っています。
最近、選択的夫婦別姓の訴訟が話題になっていますが、僕は夫婦別姓に反対する意味がわからないです。 単に選択肢が増えるだけで、同一姓だってこれまでどおり選べるのに何を反対する必要があるんでしょうか。
下記の選択的夫婦別姓の法制化に反対する請願を読んだのですが、あまりに論理性がなくてドン引きしました。
反対派の人たちの中には「自分たちは夫婦同一姓でずっとやってきたんだから、それが正しい」という固定観念が存在しているんだと思います。 もはやマジョリティでいることと盲目でいることは紙一重なのかもしれません。
ちょっと話それました..。 僕が言いたかったのは羞恥心を抱いた瞬間がマジョリティが抱く固定観念に気付ける瞬間なのではないかということです。
「恥ずかしい」と感じたということは、何が多数派なのかを認識しているということであり、自身はそれを客観的に見ることができる少数派にいるということになります。 羞恥心自体は本能によるものですが、固定観念に囚われない視点を持つ上で有用性のある感情なのではないでしょうか。
もちろん僕だって恥をかくのは嫌ですが、もし羞恥心を感じてしまったら、せっかくなので自分の中にある固定観念を見直す機会にしていきたいなと思います。
今回はお話は以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。