世界のぜんぶが書いてある本、ない?

普段自分が考えてること、疑問に思ってることを検索してみても意外と答えが見つけられないので仮説を立てて自分から発信してみることにしました。ブログタイトルは、僕のだいすきな漫画『せんせいのお人形』のセリフです。(勝手に使ってます、ごめんなさい。)

ADHD診断者が考えるADHDの定義

はじめに

僕はADHDという発達障害を持っています。

この診断を受けてから精神科の先生に聞いたり、検索してみたりしましたが、
「で、結局なんなの?」
感がぬぐえませんでした。

個人差があるとはいえ「『注意欠如』と『多動性・衝動性』という一見何の因果関係もなさそうな症状が混在できるっておかしいでしょ?」と僕は思うのです。
発達障害の中で一つのくくりとしてカテゴライズできるくらい多くの人に共通する症状なのだから、原因は単純なはず



一般的なADHDの定義

「一般的な定義は知ってるんで大丈夫です」な方はこちらへスキップ

ADHDとは」で検索して最初にヒットしたページを貼っておきます。

ADHD(注意欠如・多動症) | NCNP病院 国立精神・神経医療研究センター

要約

ADHD (Attention-Deficit Hyperactivity Disorder) は日本語では「注意欠如・多動性障害」などと訳される発達障害の一つです。18歳以下の約5%がADHDと診断されると言われています。 その名の通り、主に注意欠如(集中が続かないなど)と多動性(じっとしていられないなど)・衝動性(思いつきで突発的に行動してしまうなど)を特徴に持ちます。この障害はおそらく脳機能の発達の偏りによって生じたものと考えられています。 症状には個人差が見られ、注意欠如、多動性・衝動性のどちらか一方を持つ人もいれば、混在する人もいます。さらに、成長とともに症状が変化する人も多く、幼少期は多動性・衝動性の傾向が強かったのが、成長とともに注意欠如の傾向が強くなることもあります。



僕が考えるADHDの定義

ADHDとは一言でいうと
「脳の作業メモリが少ない人」
だと僕は考えています。(「少ない」とは平均値よりある程度低いということ)

「脳の作業メモリが少ない」をもっとかみ砕いていうと「一度に1つのことしか考えられない」ということになります。一度に1つの情報しか頭に入らない場合、新しい情報がやってくるたびに選択を迫られることになります。選択肢は以下の2つ。

①「既存の情報」を捨てて、「新しい情報」を取り入れる
②「既存の情報」を保持し、「新しい情報」は取り入れない

図にするとこんな感じ。


①新しい情報を選択した場合

新しい情報のみをもとに行動を決定することになる。
  ⇒ 脈絡がなくなり、傍から見ると突発的な行動をした、注意散漫なように見える。

②既存の情報を選択した場合

新しい情報を無視して行動を決定することになる。
  ⇒ 周りが見えていない、過集中や不注意な行動をとったように見える。


①と②の選択の違いが個人差を生む

①をよく選ぶ人は多動性・衝動性の傾向が強く表れ、②をよく選ぶ人は注意欠如の傾向が強いように見える。結局は①を選ぶか②を選ぶかの違いしかないので、混合型もありうるし、成長とともに傾向が変わることもある。

以上が僕が考えるADHDの定義です。ADHD診断者のあらゆる症状が「脳の作業メモリの少なさ」だけで説明がつくのではないかという仮説でした。



最後に

さて、前項で話すべきことは話したので、後は いちADHD診断者として思いの丈を述べて締めたいと思います。

前項でも下線で強調しましたが、大事なのは傍から見るとおかしく見えるだけで、本人からすると何もおかしいことはしてないということです。一度に2つの情報は頭に入れられないんだからどっちか捨てるしかないじゃないですか。一つの情報しか頭に入らないので2つの情報を見比べることすらできません。これがADHDの人とそうでない人の間にあるどうしても理解し合えない溝を生んでいるのではないでしょうか。

最初に定義した通り、ADHDの人は平均的な人に比べて作業メモリが少ないだけであり、所詮は個性の延長線でしかないと僕は思っています。病気ではないので治る治らないで話をするのは論外なのです。

もし、あなたの周りの人全員があなたより作業メモリが著しく多い場合、あなたもまたADHDと同じ扱いを受けることになります。ある意味でADHDかどうかは環境に依存すると言えます。

世界中のみんなの想像力がもう少し高くて、他人の物差しで物事を計ることができていれば、そもそも発達障害なんて言葉は必要なかったんだろうな、と僕は思うのです。
とはいえ、自分にとっての当たり前の外にいる人を理解するのってとても難しいことですよね…。
それに関してはお互い様というやつです。

そして、僕と同じADHDの皆さん、僕らと周囲の人には思っているほどの差はありません。まずは自分を理解し、周りにも自分のことを知ってもらえるように僕と一緒に考えていきませんか。