「責任をとる」とは結果を出すこと
はじめに
今に始まったことじゃないですが、不祥事を起こした有名人に対して「責任をとれ」という世間の声を最近よく耳にします。 そして不祥事を起こした当事者たちは"責任を取って"辞職したり、罰として活動自粛したりします。
こういうニュースを見るたびに僕は「なんで?」って不思議に思います。 「責任をとる」って「罰を受ける」ってことなんでしょうか。 僕は違うと思います。 むしろ辞職や活動自粛は「責任を放棄する」ことと同じだと思います。 今回はそんなお話です。
今回の仮説
今回のテーマは
そして今回の仮説は「責任をとる」とは
無責任な人ほど昇進しやすい
企業の昇進と責任に関して「無責任な人ほど昇進しやすい」という研究があります。 business.nikkei.com この記事で紹介されている論文に限らず、「無責任な人ほど昇進しやすい」という傾向は世界中の研究で立証されているそうです。
本来昇進するほど責任が重くなるはずなのに、無責任な方が昇進しやすいって矛盾してますよね。 これは「責任をとる」ことの一般的認識に間違いがあるからだと思います。
もし「責任をとる」=「辞職する」なのであれば、責任を取ってしまうと昇進の道が閉ざされてしまうんだから、「無責任な人ほど昇進しやすい」って当然ですよね。
責任をとるとは結果を出すこと
仮説で述べた内容を繰り返しますが、本来「責任をとる」とは自身の役割を全うすることだと思います。
例えば企業内で不祥事が発生したのなら、役員たちは辞職なんかしてる場合じゃなくて、不祥事によって発生した損失を取り戻すために尽力すべきですよね。 それこそが本来の意味での「責任をとる」ということだと思います。
この記事を書くにあたってググってみたところ、本来の意味での「責任をとる」ことについて、わかりやすく書いてある記事があったので、詳しくはこちらをご参照ください。 manager-life.net
「なんでこうも無責任な人間が上にいるんだ」なんて嘆きながらも、「責任を取って辞職しろ」なんて責任放棄を促すコメントしてる人が多い気がして、このモヤモヤを今回は記事にしてみました。
人はなぜ罰を与えたがるのか
そもそも「責任をとる」ことと「罰を受けること」が混同されやすいのはなぜなのでしょうか。
僕が思うに「責任をとる」という大義名分のもとに、集団のはみ出し者を排除して集団の結束力を高めたいという本能が働いているからだと思います。
この仮説自体は以前の記事でも言及しましたね。
zeppekikun.hatenablog.com
要は「責任をとれ」と、さも正論を述べているように見せているだけで、原理はいじめと同じなんだと思います。 世論という大きな集団の中のはみ出し者を発見したので、集団の結束を高めるためにはみ出し者を排除しようとしているのです。
今回のお話は問題提起に留まりましたが、この「集団の結束を高めたいあまりに、集団内の個体の多様性を否定して攻撃的になる」という人間の本能をどう上手く扱っていくか、これからも考えていきたいと思います。
本来あるべき組織の構成についても今後考えていけたらと思います。
今回のお話は以上です。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。